嘘と言葉の価値

choumei
twitterでも何回か「言葉というのは本質的に嘘なんだけど、決め事として本当のこととして通じるようにしてるもんだ」みたいなことを何回か言ってるんだけど、ここらへんの基本的な理屈を考えたのは小学生の頃だった。 http://twitter.com/choumei/statuses/748964942
choumei
きっかけは先生に「嘘をついてはいけない」と言われて、「なんでだろう」というそのまんまの疑問。 http://twitter.com/choumei/statuses/748969212
choumei
「狼少年」の逸話を考えて、「嘘をつくと周囲の人に自分の言葉が信じてもらえなくなって、そのことで多大な損をする。」だから嘘はつかない方がいいのか、と。じゃあ、すべての人が嘘ばかりつくようになったらどうなるのだろうか?。 http://twitter.com/choumei/statuses/748976002
choumei
すべての人が嘘ばかりつくようになったら、言葉が意味をなさない、まったく使えないものになる。言葉というものの価値が下がってしまう。 http://twitter.com/choumei/statuses/748982972
choumei
それはすべての人にとって損失になる。だから、言葉は基本的に「正しいこと」として受け止めることとし、「嘘をつく人」には信頼を失うというペナルティを科すことが必要になった。 http://twitter.com/choumei/statuses/748989622
choumei
これで納得がいった。「嘘をついてはいけない」というルールは言葉の価値を保つために必要なんだなと。 http://twitter.com/choumei/statuses/748995482
choumei
ただ、「言葉が信頼されて受け止められる」という状況ができればできるほど、嘘をついたときの効果は増大する。だから、嘘がばれる可能性とその損失、嘘が通用したさいの利益を比較して、嘘をついたほうがいいなら人は嘘をつくだろうし、実際世の中はそういう感じで動いている。 http://twitter.com/choumei/statuses/749004092
choumei
だから世の中にはある程度の嘘や嘘つきが存在するし、それを非難する人がいるというのもまた当然。そういうバランスだ。 http://twitter.com/choumei/statuses/749010382
choumei
じゃあ「もっとも優れた嘘」ってなんだろう、と考えると、発覚のリスクが小さくて利益が大きい嘘。それはどういうものかと考えてるうちにレトリックに凝るようになったのかも。 http://twitter.com/choumei/statuses/749018082
choumei
事実に反することを一切言わなくても自分に都合よく話をもっていくこともできる、とか。 http://twitter.com/choumei/statuses/749021112
choumei
まあでもおれは嘘をつくのは下手だ。ノンバーバルな部分ですぐ発覚する。あと、嘘を考えているうちにネタに走りすぎるか面倒になって正直に言うことを選ぶタイプ。呼吸するように嘘をつける人間には正直驚愕する。 http://twitter.com/choumei/statuses/749032322